テノール歌手のヴォルフガング・ヴィントガッセンとメヒティルトさん
(1960年代のバイロイト祝祭劇場前にて)
さて、今回から2回はバイロイト音楽祭の話です(この音楽祭については、以前「バイロイト音楽祭」というもので取り上げたことがあるので、興味のある方はどうぞ)。 ワーグナーが好きという方も嫌いという方も無関心な方も、よかったらぜひお読みください。 こんな経験をしている人は、おそらくドイツ人でも他にそういないと思われますので。
– 13歳の「バイロイト・デビュー」
メヒティルト:ちょうどその頃(1962年の冬)、両親が私にバイロイト音楽祭というものがあることを話してくました。冬のある日、父が1961年のバイロイト音楽祭の冊子を私に贈ってくれたんです。その時私の中で何かが起こりました(笑)。
(その時のパンフレットを持ってきて)ほら、最後のページに、音楽祭の会員へのすすめと寄付金のお願いについて書かれているでしょう。これを読んでしばらくしてから、私は音楽祭の事務所宛てに1通の手紙を書いたんです。「私は今12歳ですが、ワーグナーの作品を支援するために何かできることはないでしょうか?」と。
マサト(以下斜体):12歳の女の子の行動とは思えないですね(笑)
メヒティルト:すると、音楽祭の事務局長がとても親切な方でね、私に丁寧な返事を書いてくれました。その方と手紙のやり取りが始まったんです。
すると翌62年、「トリスタン」と「タンホイザー」のゲネプロに私を招待してくださいました。指揮はカール・ベーム。ヴィントガッセンとニルソンが、トリスタンとイゾルデを歌いました。
私はその組み合わせのCDを持っていて、愛聴しています。
日本だと中学1年生の年頃だと思いますが(笑)、バイロイトへは一人で行かれたんですか?
メヒティルト:そのことを話すと少し長くなるわ(笑)。
それまで私は母と2人で休暇を過ごしていたんですが(父は仕事が忙しくて長い休暇は取れませんでした)、私がよくダダをこねたりするものだから、(母は)たまには一人で過ごしたいということになりました。そんな時、私の異父兄弟の奥さんが南ドイツのフィフィテル・ゲビルゲという山間の地で毎夏バカンスを過ごしていることを知りました。私は彼女に「そこからバイロイトはどのくらいの距離なの?」と聞いてみたら、「約15キロ」とのこと。これはシメタと思って、私はそれから毎年彼女と一緒に夏休みを過ごすことになったんです。私だけでなく、娘の送り先を見つけた母も大喜びでした(笑)。
62年の夏に私は初めてフィフィテル・ゲビルゲに行ったのですが、そこで私たちに休暇用のアパートを提供してくれたのがトレペルさんという一家でした。私はその家族の、自分とほぼ同い年の娘さんと仲良くなりました。それがルートという子。彼女には兄が2人いて、長男のルートヴィヒはとりわけ私に親切にしてくれました。私はそのルートヴィヒと後に結婚することになりますが、それはまだずっと後の話です。
この話は私はすでに一度伺っていますが、初のバイロイトもご主人に初めて会われたのも、13歳だったわけですね!!初めて生で聞くヴィントガッセンのトリスタンはいかがでしたか?
メヒティルト:(胸に手を当てて)本当にドキドキしました。それはもうすばらしかったわ。
話を続けましょう。私は仲良くなったルートにバイロイトの話をしたら、とても興味を示しました。そして翌63年から、私はルートと一緒にバイロイト音楽祭へ行くことになったんです。その時もゲネプロを見せてもらいました。
62年に音楽祭を初めて体験した後、バイロイトの会員になるためには200マルクの入会金が必要でした。その後の年会費は20マルクです。当時13歳の私にとってそれはそれは大変な額で、その後1年間私は貯金しました。そして63年に晴れて会員になれたんです。会員になると毎年チケットを申し込めるのですが、私が実際に申し込むようになったのは大分後になってからのことです。
ではどうやって本公演を聴くことができたのですか?
メヒティルト:ルートと2人で会場の前にいると、大抵は誰かがやって来てチケットをプレゼントしてくれたんです。大半が大人という中に混じって、2人の女の子が会場の前をうろうろしていたから目立ったんでしょうね。そういうわけで、私たちは毎夏ゲネプロの他に、本公演も2、3本観ることができました。
問題は、オペラの終演後の夜遅い時間に、どうやって15キロ離れた家に帰るかでした。家に連絡すれば車で迎えに来てもらえるのですが、それをどう伝えるかが大変だった。ある時、「マイスタージンガー」の第1幕の休憩中に、2人の方がチケットをプレゼントしてくださったんです。ところが、私たちが住む村には電話というものがありませんでした。するとルートは、電話が確実にあるとわかっていた隣村の居酒屋に電話をして、「すいませんが、隣村の私の家に行って、終演後に私たちを迎えに来るよう伝えてください!」とお願いしたんです(笑)。私だったら、そんなことをする勇気はなかったでしょうね。他にも、1人でオペラを観た後、タクシー代が足りずに家の数キロ手前でタクシーを降りなければならず、夜道をトボトボ歩いて帰ったこともあります(笑)。
(つづく)
(次回は60年代のバイロイトを彩った数々の伝説の人物が登場します。よかったらワンクリックをお願いします)
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60年代のバイロイトですか...なんだか懐かしいような変な気持ちです。私は両親に連れられてバイロイトに最初に行ったのは66年でした。両親はその時ブーレーズ指揮の「パルジファル」を観ていますが、私はこの時はバイロイトの街をぶらぶらと歩いていただけで祝祭劇場には入っていません。着飾った人々の姿には大変びっくりしましたね。街の様子はその時は、あんまり印象的とは思えなかった記憶があります。
とうとう実際にこの音楽祭を体験できたのは75年でした。その後、翌年の76年、そして83年にも体験できました(以前にこの時の印象を長文で掲示板に書きました)。でももう20年以上もご無沙汰しています。仕事をリタイアしたらまた行ってみようかなと思っています。
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前に60年代のバイロイトでのクレンペラーの写真をご紹介下さいましたが、ヴィーラントは是非このクレンペラーに「トリスタン」の指揮をさせたかったようですね。当時すでにクレンペラーは高齢でしたから実現には至りませんでした。クレンペラーのヴァーグナーの正規録音には「オランダ人」がありますが、数年前に彼が戦後ブダペストで指揮した「マイスタージンガー」その他の録音がハンガリーの放送局の音源を使ってCD化されています。ハンガリー語で歌われるヴァーグナーの録音というのも珍しいものです。もしお聴きになっていらっしゃらなければ機会を見つけて是非お聴きになってみて下さい。
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私がバイロイト音楽祭に行った4回(うち1回は聴いていません)は、すべていわゆる「民宿」というものにお世話になりました。4回とも同じ場所でした。両親ともどもその家のご主人と大変懇意になり、今では息子さんの代になっていますが、今だに私とクリスマスカードや手紙のやりとりがあります。両親や私の妹たちはその後何回かこの音楽祭に行き、行くたびに大歓迎されてきました。「あなたにも是非また来て欲しい」と息子さんに言われるのですが、もう20年以上もなかなかその機会がありません。
60年代のエピソードのご紹介、楽しみにしています。
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私もワグネリアン(アーナー)なので、今回のシリーズは楽しみにさせて頂いております。バイロイト…やはり生涯に数回は行ってみたいですが80年代生まれの自分には、まだまだ憧れの地です(しかし、そんな子供の頃から行ってる人がいるとは…文化の力を感じますね)。三月は東京でもワグナー公演がいくつかありますが(そのせいで散財してますが)、やはり一度はバイロイトの土を踏みたいものです。
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ワーグナー好きな人にとって、バイロイトは聖地ですから、色々な思い出が詰まってるものなのですね。私は昨年初めて音楽祭に行くことができましたが、感動なんてことばでは表せない特別な体験でした。
ベーム盤はLP時代から愛聴していますが、実際に聴かれた方のお話しは格別ですね。
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マサトさん、はじめまして。いつも興味深く拝見しています。退職して3度バイロイト詣をしましたが、最初の感激が一番強く残っています。でも昨年のティーレマン「リング」でお仕舞いにするつもりです。私も親に連れられた子供を見たことがありますが、子供だけで行くとは!これからも生の声を伝えてください。お待ちしています。
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>la_vera_storiaさん
今までいろいろ興味深いエピソードをお聞かせいただきましたが、 la_vera_storiaさんからバイロイトのお話を聞くのは初めてです(過去の掲示板を早速探してみます)。なんと、すでに66年に一度いらしていたとは!次回この時代のバイロイトの写真が登場しますが、ひょっとしたら何かしらのご記憶があるかもしれませんね。
>ヴィーラントは是非このクレンペラーに「トリスタン」の指揮を
そんな話があったのですか。もしそれが実現していたら、ベームの演奏とは全く違ったものになっていたでしょうね。
私が2003年にバイロイトを訪れた時も、メヒティルトさんに紹介してもらって、やはり「民宿」のような宿に泊まりました。1泊25~30ユーロぐらいで、居心地も悪くなかったです。音楽祭のシーズンでもこういう宿があるのだなあと思いました。la_vera_storiaさんの次回のバイロイト訪問が、実現することを願っています!
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>ksuzukiさん
>やはり生涯に数回は行ってみたいですが
80年代生まれのksuzukiさんなら、これからきっとチャンスがめぐってきますよ。今年はベルリンやドレスデンのオペラ座が来日して、ワーグナーも演目に入っているようですね。私も久々にワーグナーをライブで堪能したいです。
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>gramophonさん
ベーム盤をLP時代から愛聴されていたということは、昔からワーグナーがお好きだったんですね。そういう方が、「聖地」で体験した時の感動やいかばかりかと思います。次回もどうぞお楽しみに。
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>ひろとさん
はじめまして!コメントありがとうございます。
バイロイト詣の感激が伝わってきました。ティーレマンのリングを聞かれたとは、うらやましいです。ひろとさんのバイロイト体験についても、これからブログで拝見したいと思います。これからもよろしくお願いします!
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中央駅さん、私の過去のバイロイト体験記はヤフー掲示板に投稿したもので、その投稿のコピーは現在はヤフーのボックスに入れてあります。以前には皆さんに公開していましたが今は非公開にしています。後程、中央駅さんに添付ファイルにしてメールいたしましょう!
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バイロイトにおけるベーム指揮の指輪四部作(正確に言えば三部作に一つの導入が付いたもの、と言うべき)の録音は最初は話題になっているトリスタン同様、DGからのリリースが予定されていましたが、カラヤンのスタジオ録音がDGで実行されたため、ベームの指輪ライヴはフィリップスからのリリースになったわけです。このベーム指揮の指輪ですが、実際にそれをバイロイトで観た両親から私はいろいろな話を聞いています。なにかの時にご紹介いたしましょう。
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二ルソンのイゾルデは、私も76年にウィーン、その後マルセイユとバルセロナで体験しました。とりわけウィーンでの時は実に素晴らしかった思い出があります(トリスタンはヴィッカース)。ウィーンのシュターツオーパーの聴衆が満場総立ちの大喝采でした。この時の録音が残っていますが、不可思議なことにこの録音できく二ルソンの出来はひどいですね。聴衆も私も当夜の二ルソンという存在自体にだまされたみたいです(笑)。それくらいに二ルソンというのは大歌手だったということでしょうか。翌日私はホテルの前で彼女からサインをもらいました。私もまだ若かったですから(笑)。
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ゴメンナサイ!
ヴァーグナーに関する昔話を始めると止まらなくなってしまいました(笑)。当分コメントを自重します。
中央駅さんの続編、大変期待して楽しみにしています!
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>la_vera_storiaさん
書き込みどうもありがとうございます。ニルソンのエピソード、興味深いですね。おそらくステージに立つだけで、別格のオーラを漂わせるような歌手だったのだろうと思います。la_vera_storiaさんのお話に興味のある方は他にもきっといらっしゃると思うので、自重などなさらず(笑)、またお気軽に書き込んでいただけたらと思います。