クロイツベルク回想録(2) -ウォルフガングとの出逢い-

西側の壁際で無邪気に遊ぶ子供たち(長野順二さん所蔵の写真より)
<クロイツベルクの第一印象>
晩秋というよりも冬のような、曇天の多い底冷えするベルリンは、繁華街でもどこか寒々しい白黒写真の様なモノトーンの街、それが第一印象でした。
クロイツベルクは、その寒々した風景の中にパンク、老人、トルコ人、アラブの黒い衣装を被った女性、パンクではないけどどこか薄汚れた風体の若者が混在した、正直うさん臭さをも感じてしまう街でした。これは、いわゆるビジネススーツや(日本人的感覚での)小じゃれた身なりをした壮年期の人をほとんど見かけなかったから、そう感じたのかと思います。 
<西ベルリンの壁際>
ベルリン滞在中は、壁際をよく歩きました。特にクロイツベルクの壁際は、何度も何度も行ったり来たりを繰り返していました。列車での体験とは裏腹に、当時の西側の壁際では想像していたような緊張感は感じられませんでした。それどころか人通りはそれほど多くなかったものの、カップルや老人、犬を連れた人達が散歩をしていたり、子供達が無邪気に遊んでいたりと、むしろ遊歩道のようなのどかさでした。「遊歩道のような」ではなく、多くの壁際はまさに市民の遊歩道として利用されていたと思います。それでも、壁際の所々に在る東ベルリン側を見るための櫓に登り壁の向こう側を眺めると、東西対立の現実を再認識させられました。
この櫓に登ると、常に東側の見張り台の兵士から双眼鏡で監視されましたが、その時感じたのは監視される緊張よりも「彼らは、どんな思いで西側に立つ人たちを見ているのかな?」という疑問でした。
壁沿いに犬の散歩をする老人。壁際は恰好の散歩道として西側市民に利用されていた
<ウォルフガングとの出逢い>
西ベルリンに着くとすぐに写真集『Seiltanze』を求めるべく、あちこちの書店を見てまわりました。そしてジョン・F・ケネディが、かの有名な演説をした市庁舎の近くにある小さな書店で、件の写真集をようやく見つけたのですが、書店の店主曰く「これは預かり物なので売れません」とのこと。がっかりしている僕を見た店主は、「この写真家は、西ベルリンに住んでいるはずだから」と電話帳でウォルフガングの番号を探し出し、電話をかけて本人に事情を説明してくれました。するとウォルフガングは、「取りあえずこちらへ来ないか」と言ってくれたので、早速御自宅へ伺う事になりました。この伺った先が、シャミッソー広場のすぐ近く、L字の曲角の辺りに在る重厚な建物のアパートでした。
ウォルフガングに会った第一印象は、カジュアルな服装に少し長髪の、まったくアーティストという気取りや過剰な気難しさのない穏やかな感じの人でした。ドイツ語などまったくわからない上に、英語さえもろくに出来ない僕の話を、ウォルフガングは気長に聞いてくれ、また、クロイツベルクの事をいろいろと話してくれました。残念ながら、その時ウォルフガングがクロイツベルクについてどんな話を聞かせてくれたのか、今となっては詳細までは思い出せませんが、とにかく、この地区の住人の特徴や空家不法占拠居住運動、数年前に起きた暴動などについて聞かせてくれました。拙いコミュニケーションながらも、あれこれと話し合っているうちに「居心地の悪い宿に泊まっているくらいなら、うちに来たらどうだ?」との申し出をいただき、厚顔無恥な僕はその晩だったか翌日からだったか、とにかくウォルフガングのアパートで西ベルリンを発つまでの1週間程、居候をさせてもらうことになりました。
その当時でも自分のしている事が厚かましいだけでなく、かなり無謀でもあるとは思いましたが、クロイツベルクでこの街のアーティスト(しかも『Seiltanze』の写真家)の創作や暮らしぶりが垣間見られると思うと、これぞ千載一遇のチャンスでしかありませんでした。突然現れた見ず知らずの日本人を自宅に居候させてくれるとは、ウォルフガングの懐が果てしなく深いのか、クロイツベルクの人達の気風がそうなのか?きっと両方が相まっての幸運だったと思います。
写真家ウォルフガング・クローロフ氏の撮った2人の少女(ドイツ人とトルコ人)がキャッチボールをしているこの写真は、クロイツベルクという特殊な地区を象徴した写真として、ベルリンを始めドイツでは有名な作品。この反人種主義運動(?)のような市民運動のポスター等に時々この写真は使われていた
(つづく)

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