映画『クリスチーネ・F』(原題は『われら動物園駅の子どもたち』)
長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の最終回をお送りします。
<クリスチーネ・F>
かなり冷え込んでいた秋の夜遅く、公園の脇を通りかかると暗がりの中から10代中頃のドイツ人の少女がこちらに近づいて来て、力なく「5マルク(だったか3マルクだったか?)くれないか」と言いました。その少女、姿はごく普通の女の子でしたが、お腹をすかしての物乞いではなく、見るからにドラッグを買いたいがための物乞いでした。その少女の表情からは、まるで生気が感じられませんでした。僕はその頼みを無下に断って、さっさとその場を去って行きました。
ただそれだけの出来事であり、僕にとってはドラマチックに語るような出来事ではありませんでしたが、その時僕はふと「ああ、彼女がクリスチーネ・Fか」と思いました。クリスチーネ・Fとは、西ベルリンに住むごく普通の少女が、ドラッグに手を出し堕ちていく姿を描いた映画の事です(この映画は、日本でも81年に公開されました)。もちろん、映画のモデルとなった少女本人という意味ではありませんが、当人と同じ街で同じ問題を抱えた同年代の少女を実際に見て、何ともやるせない思いを味わった、そんな出来事でした。これはクロイツベルクでの体験ではありませんが、当時の西ベルリンの負の部分を象徴する出来事に思えたので、記しておきました。
<あれから20年>
1988年秋と翌89年夏、この2度のクロイツベルクをメインとしたベルリン訪問。両方合わせてもたった1ヶ月ほどの滞在でしたが、その後のベルリンの壁崩壊に端を発した大きな時代の変化を考えると、とても貴重な体験を得られたのだなとつくづく思います。また、もっとメンタルな面での貴重な体験もありました。それはウォルフガングを始めクロイツベルクで出逢えた人たちの暮らしに感じた“人生のスタンス”の様なものが、まだ20代だった僕に新鮮な衝撃を与えてくれたことです。その衝撃的なほどの人生のスタンスとは「こんな生き方もあり」といった感覚です。もう少し言い換えると「自分と他者が違うのは当然」、そんな感覚でしょうか。まあ、自分と他者とが違うのは当然であって、本来そんなこと、20代も後半に差し掛かった大人が驚き知ることでもないのでしょうが、それでもやはり、これは当時の僕にとっては大きな衝撃であり刺激でした。
帰国してから映像業界に戻り、再スタートしてなんとかディレクターとなり・・・・と、その後日本で忙しく過ごした10数年。この間にクロイツベルクで感じた人生のスタンスは、物事を見ようとする目線など少なからず仕事をする上で影響を受けました。そしてカナダに移住後、子供の誕生を機に育児のために専業主夫というポジションを選べたのも、カナダではそんな生き方が比較的できやすいという理由以上に、クロイツベルクで感じたこの人生のスタンスが大きく影響しています。
ベルリンの壁崩壊からもうすぐ20年。この20年間一度もベルリンには行っていません。ただ、マスメディアやインターネットを通してベルリンの変化を伝え聞いているだけです。壁崩壊によって大きく変わったのは、世界情勢以上にパンク・トルコ人・芸術家・空家不法占拠者たちの住むクロイツベルクであり、この地区の人々の暮らしではないかな?と時々現在のクロイツベルクに思いを馳せたりします。クロイツベルクで出逢った人たちの人生のスタンスは今どうなっているのか、とても気になります。
(了)
印象深いお話を聞かせてくださった長野順二さんに心よりお礼を申し上げます。
長野さん、数日前カナダのご自宅に『素顔のベルリン』を送らせていただきました。私の写真と文章を通じて、この20年のベルリンの歩みをいくらかでも感じ取っていただけると幸いです。
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残念ながらパーティにお伺い出来ませんでした。
さぞ盛況であったことと…残念です。
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今日、<素顔のベルリン>を買いました。
2009年10月1日から8日までベルリンへ旅行していました。
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Maneknekoさん
わざわざありがとうございます。またいつかお会いできればと思います。
門野さん
お買い上げいただきありがとうございます。
もう少し早く本が出版できればよかったです。