11月9日、ファザーネン通りのユダヤ人協会にて

Jüdische Gemeinde Berlin (2010.11.9)
昨日11月9日は「ベルリンの壁」が崩壊して21年、そして反ユダヤ主義の暴動「水晶の夜」(Kristallnacht)が起こってから72年という記念の日でした。その前日、両方の出来事に関する追悼式典の告知が新聞に載っていたので、私はその両方に行ってみました。
クーダムから一歩入ったファザーネン通りにあるユダヤ人協会(Jüdische Gemeinde)の中に入るのは初めてでした。その前を通ることは何度もあっても、常にものものしい警備が張られていて、何か特別な理由がないと入りにくい雰囲気があったのです。昨日18時の追悼式が始まる少し前に会場に着いたら、大勢の人が集まっていたので、今回は特に気後れすることなく門を抜けました(とはいえ、中に入ってすぐに、やはり厳しいセキュリティーチェックが待っていましたが)。入り口の小ホールでは、ガラスケースの中にハヌッキーヤーと呼ばれる燭台などが飾られ、そばにモーゼス・メンデルスゾーンの胸像も置かれていました。その奥は図書館。さらに上の階に行くと、右手にレストラン、左手に進むと大きなホールがあります。
当然ながら会場には、ユダヤ人が多く集まっていました。キッパと呼ばれる帽子をかぶり、長いひげをたくわえ、いかにもという風貌の人から、「おそらくユダヤ人だろう」と思われる人までさまざま。ドイツ人も多くいましたが、東洋人は他に見当たりません。何というか、自分がまだまだ知らない、もう1つのベルリンの中にいるような気分でした。ナチスが政権を握る前まで、一見してユダヤ教徒とわかる人は、ごくごく頻繁にベルリンの街角で目にしていたはずです。しかし、あのおぞましいホロコーストを経て、ベルリンのユダヤ人の数は激減し、このような特定の場所に行かないとユダヤの人々をまとめて目にする機会はほとんどなくなってしまったのかと・・・。
ヴォーヴェライト市長やユダヤ人協会の代表者らの追悼の挨拶の後、ライプチヒ・ゲヴァントハウスの児童合唱団がナチスの犠牲になったユダヤ人作曲家の曲を何曲か歌いました。悲しみに満ちた音楽だけでなく、希望を感じさせる明るい音楽もあっただけに、余計心に沁みました。最後に演奏されたハンス・クラーザのWiegenliedは、テレジエンシュタットの強制収容所で作曲された子どもオペラの終曲で、上演の後、多くの子供が殺された悲しい歴史を持つ音楽です。
1時間余りの会が終わって、外に出ると、火が焚かれた前で、ユダヤ人のラビ(?)が、ホロコーストで犠牲になった人々を追悼する朗詠をしていました(冒頭の写真)。もの悲しい、独特の抑揚を持つメロディーが、時々隣のSバーンの音にかき消されながらも、夜空に響き渡りました。1938年11月9日から10日にかけての「水晶の夜」では、かつてこの場所にあったシナゴーグも放火されています。

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