テレージエンシュタット訪問記(1)

5月のプラハ旅行の最終日、以前から一度訪ねてみたいと思っていた場所に、行ってみることにした。ドイツ名はテレージエンシュタット、チェコ名はテレジンというこの街が、プラハから約60キロの距離にあるというのは少々以外だった。夕方のベルリン行きの列車に間に合うよう戻って来なければならないが、何とかなるだろうと思い、テレジン行きのバスが出る街の北側のHolešoviceのバスターミナルに地下鉄で行ってみた。が、そこはだだっ広い乗り場があるだけで、人も少なく、とてもバスターミナルという雰囲気ではなかった。停留所を1つ1つ回りながらTerezinの文字が書かれた路線の乗り場を探し、何とかたどり着く。バスに乗り込む際、運転手に「このバスでいいのか?」と確認したら、後ろのおじさんが親切に答えてくれた。彼の後ろに席を陣取ると、車中英語でいろいろ話をしてくれた。あれはチェコの有名な伝説の舞台になった山だ、とか、あの古い列車は近郊の小さな街の間を40年ぐらいひたすら行ったり来たりしているんだ、という話だったが(冒頭のかわいらしい気動車)、さすがに半年経つと記憶は薄れてきている。新緑の美しい季節、1時間ぐらいののんびりとしたバスの車中だった。
(テレジンはプラハの郊外だが、結構広い上にバスの便は決してよいわけではないので、午前中のうちに出かけるべきだろう。少なくとも午前中は1時間に1本はバスが出ている)
持参してきたドイツ語版のlonely planetのガイドに、テレジンのことは比較的詳しく紹介されていた。ただ、「要塞として建設され、その後ナチスの強制収容所になり、いまはまた普通に人が住んでいる」と言われても、一体どういう場所なのか、ひまひとつ想像がつかなかった。見どころは大きく2箇所あるというので、まず手前のTrezin Blovetaで降りて「小要塞」に行ってみることにした。少し戻るようにバスの道を歩いて行くと、そこから左に延びる大きな並木道が見えてきた。隣は国立墓地になっていて、無数の墓石が並んでいた。
ここが「テレジン小要塞」の入り口。テレージエンシュタットは、ハプスブルク帝国時代の18世紀末、ヨーゼフ2世によってエルベ川とオフジェ川が合流する地点に要塞都市として作られた。女帝マリア・テレジアの栄誉を称えるためにこの名前になったのは、有名な話だ。とにかく、ここが昔要塞だったというのは、この前に立てば一目瞭然だ。入場料を払って中に入る。地図付きの日本語のパンフレットが用意されていたのにはびっくりしたし、とてもありがたかった。
入り口から左手に歩いて行くと、やがてアウシュヴィッツでもベルリン郊外のザクセンハウゼンでも目にした、あのおなじみの標語を掲げた門が見えてきた。すなわち、「労働は人を自由にする」。
(つづく)

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2 Responses

  1. MAYU
    MAYU at · Reply

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    日本からテレジンに寄贈されたピアノの話を読んだ事があるのですが、
    それはこの要塞とは関係無いのですか?

  2. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    MAYUさん
    そのピアノのお話がどういう内容なのかわかりませんが、おそらくここではなく、大要塞に関係した話かもしれませんね。

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