秋のオランダ紀行(1) – ケルンに立ち寄って –

ICEの車窓より

今年は取材旅行も含めると、旅に出る機会が例年より多いのですが、ブログに旅日記を書き始めてはみたものの、途中で止まってしまっているものが少なくありません。心苦しくはあるのですが^^:)、記憶の鮮明な順からということで、今回の家族旅行を振り返ってみたいと思います。

今回ドイツ初訪問の父。ベルリンの街を案内した後、せっかくだからということで、数日間遠出することになった。いろいろ話し合った結果、行き先はオランダに決まった(なぜオランダになったのかということはまた後で)。

23日(火)、ベルリン中央駅7時48分発のICEに乗って、一路ケルンへ向かう。ヨーロッパの主要都市へは飛行機で行くのが大抵一番早くて安いという時代だが、鉄道にも乗りたいし、自分で車も運転したいという弟の希望によりこのルートに。この日は曇り空だったが、ヴッパタールに着く前から好天し、山間部の美しい紅葉の車窓を楽しむことができた。DBにしては珍しく(?)遅延もなく、12時過ぎにケルン中央駅着。

何度見上げてもその偉容に圧倒される大聖堂。荘厳な内部を見て回った後(下の写真は床のモザイク)、弟の希望で大聖堂のてっぺんまで上ることに。

私自身はケルンに何度か来ているが、509段の階段を上るのは初めてドイツに来た98年2月以来となる。あの冬の日は厚い雲がたれ込めていたなと思う。決して広くはない階段のうえ、上り下り共用のため、人とすれ違うたびに緊張感を感じる。なんとかてっぺんに到達したときは太ももがパンパンに張っていたが、そろそろ70に近い父が自分たちと同じペースで上ってきたのには感心した。

大聖堂の屋上からの眺めを見ても、現在のケルンは決して美しい街並みとは言いがたいところがあるのだが、さすがローマ時代に端を持つ古都だけに、ベルリンでは決して見られないものに出くわすことがある。これはローマ時代の下水道施設だとか。

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16世紀にルネサンス様式で建てられたケルン市庁舎。

その横にこんなプレートを見つけた。1963年6月23日にJ・F・ケネディがケルン市民に向かって演説をした場所だそう。彼がベルリンであの有名な”Ich bin ein Berliner”の演説をしたのは、その3日後だ。

市庁舎の周辺は、至るところで発掘作業が行われていた。それも驚くような規模で。通りゆく人が物珍しそうにフェンスから覗き込んでいる。ここはシナゴーグを始め、ヨーロッパでも最古にして最大の部類に入るユダヤ人地区があった場所らしい。この遺跡群を今後どのように保存するのかはわからないが、現代のケルンでこんな作業が熱心に行われているのは面白い。

私にとってケルンでもう一つ興味を惹かれるのが、ハンザ都市としての側面。少々意外なことに、中世の時代、ケルンはハンザ同盟に属していた。NHK「テレビでドイツ語」の連載のお陰で、昨年から多くのハンザ都市を訪ねているが、あの時代に典型的な商人の館を見つけるとうれしくなってしまう。アルター・マルクトに面したカフェでお昼を取り、ライン川のほとりを少し散歩。

フィッシュマルクトのかわいらしい住居群。

時刻がいつの間にか16時に近づいたところで、短いケルン滞在も終わり。中央駅に戻って、レンタカーを借りる。弟の運転で、一路オランダへ。今回は自分で運転する必要がないので、気分が楽^^。時折うとうとしながら、20時を回った頃、暗闇の奥に風車の姿が浮かび、ライデンの旧市街に到着した。

(つづく)

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