海と坂の街、タリン再訪記(3)

旧市街の一番北側のはずれに、こんな記念碑を見つけた。
エストニアの独立に関するものかと思ったが、そうではなかった。
1994年の9月28日の深夜、豪雨の中タリンからストックホルムに向かった客船「エストニア号」は、バルト海沿岸で突然浸水し、852人の命が犠牲になったという(そんな大事故なのに私は当時何も知らなかった)。奥に見えるモニュメントには犠牲者の全ての名前が刻まれているらしいのだが、それが何であるかは後になって知る。写真の少年はもちろんモニュメントの一部ではありません^^;)
そのお隣には、「ふとっちょマルガレータ」というユーモラスな愛称の付いたかつての砲塔が、どっしりと横たわっている(現在は海洋博物館)。
旧市街の北側に残っている中世の城壁も中を歩くことができた。
細くうねる旧市街だが、それほど大きくはない。等身大で歩けるサイズが心地よい感じ。
どこを歩いても、最後はいつの間にか旧市庁舎のあるラエコヤ広場にぶつかる。それにしても観光客の数には驚いた。前回訪れた3月とはその点まるで印象が違う。
タリンというと、今年の春に印象的な事件があった。
4月27日の未明、エストニア政府が第2次世界大戦で犠牲になったソ連兵をたたえる記念碑を撤去したところ、ロシア系の住民が反発し暴動に発展、100人近くが負傷し1人が亡くなったのである。EUにも加盟し街はすっかり西欧化しているように見えるが、かつて支配下にあったロシアの影というのはいまだに巨大なものなのだろうか。観光案内所でこの記念碑があった場所を聞いたのだが、時間の関係で行くのは諦めた。
広場に面したヨーロッパでも最古の部類に入るという、市議会薬局(Raeapteek)。”Apotheke”はドイツ語かと思っていたが、元はラテン語の言葉だった。
ここで少しタリンの乗り物をチェック!
まずは旧共産圏の街でよく見かけるトロリーバス。もちろんバスとトラムも走っている。
旧市街から少しだけ離れたところにある駅にも行ってみた。エストニアでは長距離の移動はバスが主流とはいえ、首都の駅にしてはずいぶんこぢんまりとしている。それでも地元の人が結構たむろっていて、駅構内のマーケットではパンや飲み物を旧市街に比べてはるかに安い値段で買うことができた。
旧市街からすぐの場所にあるKaubamajaというショッピングモールは、西側のそれと何ら変わるところがない。ベルリンよりむしろ高い気がした。残念ながらタリン美人の写真はありません^^;)
2日間晴天に恵まれたが、3日目の最終日は雨。前回(2002年)はバスで27時間かけて帰って来たが、今回はわずか1時間40分のフライトでベルリンのシェーネフェルト空港に降り立つ。かつてのハンザ都市、タリンは近くなった。
(おわり)



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4 Responses

  1. Ken
    Ken at · Reply

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    バスの後ろの集合住宅も共産圏的?な感じがしますね。
    でも古くからの建物だけだったら、ドイツといわれても信じちゃいそうです。

  2. Til
    Til at · Reply

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    >バスで27時間
    うわぁ〜 以前は1日以上かかったんですね

  3. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Kenさん
    旧市庁舎もゴシック様式でとてもドイツ的という気がします。本国でもあまり見られない「ドイツ」がここにはあるという感じでした。ラトヴィアのリガもいいですが、あちらは街の規模がもっとずっと大きいです。

  4. berlinHbf
    berlinHbf at · Reply

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    >Tilさん
    タリンを朝の7時に出て、ベルリン着は翌朝の7時40分。と時刻表には書いてありますが、その時は3時間ぐらい遅れてやはり27時間かかったと記憶しています。さらに今は飛行機の方がずっと安くなってしまったのが皮肉です。

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