シャミッソーが住んでいた家の近くの広場では、子供たちがそりで遊んでいた(2月4日)。
アーデルベルト・フォン・シャミッソー(Adelbert von Chamisso: 1781-1838)という作家に、私は最近とりわけ親しみを感じている。まず、私が住んでいるアパートのすぐ近くに、彼の名を冠した「シャミッソー広場」があること(この美しい広場についてはこちらをご参照)、それだけでなくシャミッソーのお墓が、前回ご紹介したメンデルスゾーンと同じ墓地に眠っていることを最近知ったのである。私の家から歩いて15分ほどの距離だ。このメーリングダムの墓地に、「音楽家通りツアー」の同行者である指揮者のT君と、先日また一緒に見に行くことになった。
とにかく広い墓地なので探すのが大変だったが、何とかシャミッソーのお墓は見つかった。ベルリンの紋章の付いた赤いレンガは、ベルリン市から贈られた栄誉の印である。さて、彼の名前が記されたプレート下にはこう書かれている。「詩人、植物学者、世界一周航海者、シェーネベルクの植物園館長。『ペーター・シュレミールの不思議な物語』を著した」
「詩人なのに植物学者?しかもあの時代に世界一周?」
「ペーター・シュレミールの不思議な物語」を読んだことのあるというT君から、シャミッソーのことを教わっていなかったら、私はおそらくこのような感想をもらしたことだろう。彼は実に興味深い生涯を送った人なのである。
名前からご察知の通り、シャミッソーはフランス人で、1781年貴族の息子としてシャンパーニュ地方に生まれた。Louis Charles Adélaïde de Chamissoというのが元々の名前だったそうだ。彼の幼少期は折りしもフランス革命が始まった頃。1794年、一家はプロイセンに亡命し、ベルリンに住むようになる。両親はその後フランスに戻ってしまったが、シャミッソーはドイツに残り、1798年からは軍役義務を果たすべく軍に入隊する。つまり、プロイセン軍の一員としてナポレオン軍と戦わなければならなかったのである。フランス側から見たら当然祖国への裏切りに他ならないから、いろいろな場面で侮辱を受けたであろうことは想像がつく。
ナポレオン戦争に敗れ、シャミッソーはすでにフランスに戻っていた両親のいる故郷に戻るが、2人ともすでにこの世を去っていた。結局彼はベルリンに戻り、詩や小説を書く一方で、植物学にも熱中した。作品はもっぱらドイツ語で書いた。1813年のメルヘン風の物語「ペーター・シュレミールの不思議な物語」は「影をなくした男」というタイトルで、現在岩波文庫で読むことができる(私もぜひ読んでみたい)。シャミッソーが書いた詩は、現在でもドイツの学校の教科書によく使われているそうで、また、シューマンの歌曲「女の愛と生涯 Frauenliebe und -leben 」はこのシャミッソーの詩によるものである。
1815年から3年間、シャミッソーは植物学者として世界一周の航海に出る。太平洋、ポリネシア、ハワイと巡り、アラスカでは海岸線の地図を作成し、同時に植物の研究も続けた(アラスカには彼の名前を冠した島まであるらしい。「シャミッソー広場」だけではなかったのだ!)。またエスキモーの生活習慣についてもつづり、そこを支配するロシアの植民地政策を批判した。とにかく型破りの人だったようだ。やがてベルリンに戻ると、1819年からはベルリン植物園(Botanischer Garten)の館長を勤め、この地で生涯を終える。
先週新聞を読んでいたら、全くいいタイミングで、シャミッソーの新しい記念プレートの除幕が行われるという小さい記事が掲載されており、昨日、早速見に行って来た。シャミッソーの生誕225周年の記念だという。場所はFriedrichstraßeの235番地。先ほどの墓地を北に歩き、Hallesches Torを越えると、南北に長いフリードリヒ・シュトラーセの南の先端が見えてくる。前にも少し書いたが、Hallesches Torから北側は、戦争の被害が著しかったので、戦前の面影はほぼ皆無といっていい。
戦後に建てられたごく普通の建物の入り口に、このぴかぴかのプレートを見つけた。世界一周旅行から戻ったシャミッソーは、1822年から1838年の死までここに住んでいたのだという。その建物は1908年まで残されていたそうだが、とにかく、シャミッソーがこんな近所に住んでいたのかと思うとうれしくなった。このプレートの一番下には、彼の言葉が引用されている。
私はドイツの中ではフランス人で、フランスの中ではドイツ人。新教徒の中ではカトリック教徒で、カトリック教徒の中では新教徒。貴族の中ではジャコバン党員で、民主主義者の中では貴族。私はどこにも属していない。どこへ行っても私はよそ者だ。
彼は生涯にわたってアイデンティティーの問題に悩み続けた。しかし今ではどうだろう。例えば、フランス人とドイツ人はお互いの国を自由に行き来できるし、どちらで仕事を探すのも自由だ。また、トルコやハンガリーで生まれた人が、ドイツに移住してドイツ語で作品を書くということも、珍しいことではなくなった。
1985年に、ドイツ語を母語とせずに、ドイツ語で優れた執筆活動をした作家に贈られるシャミッソー文学賞が設立されたが、受賞者の中に日本人の多和田葉子さんがいる。多和田さんは大学時代に第2外国語でドイツ語を始め、現在はハンブルクを拠点にドイツ語で小説を書いているという恐るべき方である。私の手元に「エクソフォニー」というエッセー集があるが、私はこの中で多和田さんが語っている言葉が好きだ。
昔なら、数年ごとに住む場所を変えるような人間は、「どこにも場所がない」、「どこにも所属しない」、「流れ者」などと言われ、同情を呼び起こした。今の時代は、人間が移動している方が普通になってきた。どこにも居場所がないのではなく、どこへ行っても深く眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、どこへ行っても焦点をあわせることのできる複眼を持つことの方が大切なのではないか。あらかじめ用意されている共同体にはロクなものがない。暮らすということは、その場で、自分たちで、言葉の力を借りて、新しい共同体を作るということなのだと思いたい。
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シャミッソーの言葉を読むと、彼の名前を冠したシャミッソー賞の存在と意義、その受賞者に日本人の多和田さんがいることは素晴らしいですね。多和田さんの言葉はシャミッソーの言葉と通じるものがあり、自分が日本で感じる違和感や思いともつながって感慨深いものがありました。
いつも新しい発見がある記事をありがとうございます。
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ご感想ありがとうございます!
恥ずかしながら、シャミッソーという存在は「シャミッソー広場」を通して知ったのです。そこから、シャミッソー文学賞-多和田葉子さんとつながり、しかも多和田さんが大学の先輩にあたる人であることを最近知り、ますます不思議なつながりを感じているところです。多和田さんのこのエッセー集はいろいろなところではっとさせられます。シャミッソーの本も今度ぜひ読んでみたいですね。
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中央駅さま
Yozakuraです。毎回の様に手を変え品を変え、話題が色々と多岐に及ぶ中央駅さんの博識ぶりに、コーヒーカップ片手に、感嘆頻りの午後を過ごしております。墓場巡りの取材、お疲れ様です。
しかし、どうやって、斯くもマイナーな文学者を首尾よく発掘できたのですか?単に、広場や街路の名称に着目しただけでは、ここまで同一人物の業績を系統立てて把握するのは難しいでしょうに?
失礼ながら、勝手に推測させて頂きますに、恐らく、文化圏を越境することの社会的・精神的な至難性と、その対極に位置する、異文化圏での生活で体験せざるを得ない意外性の連続や胸躍る興奮の日々が齎す濃密な味わい深さに、その魅力に、中央駅さん御自身が、どっぷりと嵌っていらして、それ故に日常的に、こうした(良い意味での)マイナーレーベル(minor-label)のインテリゲンツィアに対しても、その存在や事績に、知的アンテナを伸ばして探索していらしてる平素からの御努力の成果なのかな—-と憶測してみました。間違っていましたら、ご容赦を。(字数過剰のため、後半部分は別途アップします)
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中央駅さま:後半部分です
多和田の随筆集《エクソフォニー》に就いては、以前、フンメル氏のサイトでもコメントしましたが、公的な図書館より借り出し読了しております。
その視点は常に、所属する共同体の主流派(Major label)に対する傍流ないし少数派(Minor label)から投影されたもので、主流派に属する構成員が、その所属性すら自覚し得ないノー天気な思考回路の極楽蜻蛉振りが、実にコミカルに手際よく描出されており、興味深いものでした。
また、この種のルポルタージュをお願いします。お時間ありましたら、映画祭の話題も宜しく。お元気で。
2006/02/06(月曜日) Yozakura 敬白
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はじめまして。
多和田さんの言葉、なんだか嬉しくなりました。世界をあちこちウロウロして来た私、今では「無理やり所属する」のではなく、どこにいても楽しめることを楽しんで暮らそうと思っています。
現在日本に住んでいますが、4月からポツダム近郊に住む予定です。ベルリンも近いので、楽しみです。
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>Yozakuraさん
私の雑文を読みながら、午後のゆったりとした時間をお過ごしとは、なんだかうれしくなってしまいます。Yozakuraさんご指摘のことの中に、とても大事なことが含まれているような気がしたので、どうお返事したらいいかと思っていました。外国に住んでいると、やはり自分が少数派になってしまうので、文化を越境しつつもその困難さを感じていたシャミッソーのような人物に出会うとどこかで共感してしまうのだと思います。ただ、自分が少数派とは言っても、結局は好き好んでこの町に住んでいるので、やはり楽しんでいるのでしょうね。「意外性の連続や胸躍る興奮の日々」と言っていただいても間違いないないかもしれません。それが文章として少しでも伝わったらうれしいのですが。
映画祭の話は、開幕には間に合いませんが、近いうちに何か書けたらと思っています。
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>ビアンカさん
お越しいただきありがとうございます。ブログを少し拝見しましたが、かなりいろいろ旅をされてきて、しかもご主人がドイツ人だと、日々異文化との狭間に生きているようなものかもしれないなと想像しました。4月からはこちらにいらっしゃるのですね。これからもどうぞよろしくお願いします!